デジタルマガジン

2013年04月21日 15:00

『Twitter』や『Facebook』は個人による情報発信ツールという意識の高い勘違い

このエントリーをはてなブックマークに追加

 あれはコミュニケーションツール。リア充たちによるコミュニケーションツールです。それを「個人による情報発信の時代が来た!」みたいに煽るからどこぞの河原雅彦が週刊朝日でぶち切れてるわけで。

 今まさに食べようとしている料理の写真をアップしたり、楽しげな旅先の写真をアップしたり、街で見かけた犬猫や自慢のペットの写真をアップしたり、仲睦まじい家族写真をアップしたり、自撮りに成功したらしい己の写真をアップしたり、読んでるこっちとしては、「どーでもいいわ!」としか言いようがない記事がまっこと多い。

 (中略)

 なんでなんの変哲も無いテメーの日常をイチイチ報告されねばならんのだ。ギャラか? ノーギャラだったら、なに書いてもいいのか?

 ネット上のあれやこれやの自己表現など、薄っぺらいことは百も承知なわけだけど、人の目に触れる以上書き手は受け手側の人間に対して少なからず責任を持つべきじゃないかしら?

 他人のフェイスブック投稿にイライラする理由 〈週刊朝日〉-朝日新聞出版|dot.(ドット)

 たぶん雑誌とかの媒体かなんかと勘違いしてると思うんですが、TwitterやFacebookなどのSNSはその名のとおりコミュニケーションのためのツールなんで何を書こうが自由です。

 友達に対して「疲れたー」とか「これ美味しかった」とか言うことに責任持つ? というか責任があること自体考える? 考えないですよね。あれはようするに面と向き合って喋るかわりにスマホの画面見て喋ってるわけ。

 人の話をわざわざ聞きに行ったあげく「つまんないこと喋ってんじゃねーよ!」ってぶち切れるのはかなりバカ丸出しなんで、河原雅彦は自分にFacebookを教えてくれた友人を殴りに行くといいですよ。

このエントリーをはてなブックマークに追加