デジタルマガジン

2012年05月20日 13:33

台湾が親日になったのは運が良かったから

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 今年5月16日に心不全で亡くなられた、作家の邱永漢(きゅうえいかん)先生が自らの半生を綴ったコラムを今朝から読みふけっていました。戦前の台湾と、戦後の台湾と香港のことが当時を知る人物の目線で描写されており、大変面白い読み物でした。

 内容に夢中になってしまい朝の仕事の締め切りに遅れそうになるほどで、まだ読んでない人や誰それ知らないなんて人にもオススメです。

 わが青春の台湾 わが青春の香港・邱永漢

 コラムには台湾で生まれた邱永漢先生が物心ついてから最終的に亡命先の香港から日本に脱出するまでが描かれていますが、そのなかでも植民地時代の台湾人の気持ちを描いた一節は興味深いものでした。

恨まれていた日本人

 戦後生まれ、というか氷河期世代のケツの方で生まれたボクが知っている“台湾が親日の理由”は“日本統治時代が良かったから”ぐらいなもので、あながち間違ってはいないようですが正しくは“(中国国民党の圧政に比べれば植民地人に対する差別があったとはいえ)日本統治時代(の方)が良かったから”との語句が文中に入る感じです。

 実際、かっこのなかの事実を知らなかったボクにとって以下の文はけっこうな衝撃でした。

 旧制高校生だった頃の私は文学青年ではあったが、まだ政治青年ではなかった。私は日本人の植民地支配には不満を持っていたが、文学に鬱憤のはけ口を持っていたので、正面きって反抗しようという気持はなかった。だが、先輩の本島人学生の中には心底から日本の統治を憎み、中国を祖国と思う人たちが少なくなかった。

 (中略)

 台湾の人たちに、祖先を同じくする大陸の人に向かって銃口を向けろということは、どだい無理な話だった。しかし、日本人の大陸進攻にあたって台湾の人たちは、現地の言葉もわかるし、命令していうことをきかせることもできるなんとも便利な存在だった。それがまた台湾の人たちにとってやりきれないことでもあった。

 とうとう大東亜戦争がはじまった。私たち高校生は必勝を願って全員、台湾神社に参拝させられた。日本人にとっては当たり前のことだが、台湾人にとっては複雑な思いのほうが先に立った。

 ハイハイQさんQさんデス-わが青春の台湾 わが青春の香港

 コラムを読んでいけば分かりますが、日本の植民地支配は併合とはほど遠く、実際は内地人(日本人)と本省人(元台湾人)のあいだにはかなりの差別があったようです。これは恨まれるのも当たり前ではないかと。

蒋介石率いる中国国民党の圧政という戦後の苦難

 じゃあなんで反日にならなかったのかというと、戦後、戦勝国となった蒋介石率いる中国国民党による統治が日本とは比べものにならないほどひどかったからだそうです。

 賄賂や横流し、着服などの汚職は当たり前、逆らう台湾人は逮捕して黙らせる。中国国民党から派遣された台湾省行政長官の陳儀(ちんぎ)にいたっては闇造幣局でお金を刷って私服を肥やしていたとか。

 役人にしても重要なポストは中国本土からやってきた外省人しかなれず、割り振られる数は少ないながらも上にのぼることができた植民地時代と比べると「日本の統治は良かった」となり、結果としてはもっとひどいのが来てアレに比べたらマシ、ということで親日になったようです。

 もちろん今では台湾の若者がジャパン・カルチャーにハマっている話がニュースに流れたりと当時とは違った親日の様相を見せてはいますが、ひとつ歯車が狂っていたら現在の台湾は反日国家だったかもしれないとコラムを読んでいて考えさせられました。

 わが青春の台湾 わが青春の香港・邱永漢

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