デジタルマガジン

2012年04月18日 18:41

評価経済とは金づるからどれだけお金を引っ張れるかという貨幣経済

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 岡田斗司夫さんが「これからは評価で生きる社会、評価経済だ!」みたいな変なことを言い出して、その生き方に憧れるブロガーやらノマドが「そうだそうだ」と賛同しているようですが、いやいやちょっと待て、と。

 Twitterのフォロワー数やFacebookのいいね数をいくら集めても何も買えない、そんなこと、みんな分かってるよね?

 他人からどれだけ評価されたって、それがお金に変わらなきゃおまんまは食えないですよ。

 実際、最近の若い人たちは、ボランティアに走る傾向もある。つまり、やる気はあって働くのだけど、自分の楽しみのために使わない。それは、若い人たちに言わせれば、会社でおカネ稼いでも、そのおカネで楽しみに使うのだったら意味がない、ということ。おカネを使わないと、自分の楽しみを実現できないというのは、ネット社会ではすでにヘタクソな生き方になっている。

 「僕らは評価経済の高度成長期に入った」 週刊東洋経済インタビュー ノーカット版掲載! – 岡田斗司夫公式ブログ

 岡田さんの言うように“若者がお金じゃなくて趣味に走る”のは、いくら仕事で頑張ってもバブルのときみたいに給料が上がらないからです。天井が見えてしまっている。それなら、その時間を違うことに使ったほうが幸せになれるからそうしているだけのこと。

 「おカネを使わないと、自分の楽しみを実現できないというのは、ネット社会ではすでにヘタクソな生き方」ってのも、ネット社会というよりフリーターやワーキングプアと言ったネットのなかの貧乏社会の話ですよね。

 携帯片手に「無料です」のソーシャルゲームやYouTubeの動画に没頭するのと、大画面テレビでゲームしたり世界各地の文化や風景を見て回るのとじゃ誰だって後者を選びますよ。ただ、若者にはその後者を選ぶだけのお金がないだけであって。

 しかもその後者を評価で手に入れられるのもごくわずかな人たちです。そしてその人たちはすでに貨幣経済でも十分な位置にいます。だから、若者が評価経済で救われることなんてありません。

 だいたい評価で生きていけると思うことがおかしいじゃないですか。じゃあお前コンビニ行ってその評価とやらでおにぎり買って来いよ、と。できないだろう、と。

 なかにはコンビニのレジの兄ちゃんから評価されてる人がいて「あ、俺が代わりに払いますよ!」とおにぎりを買って貰えるかもしれませんが、それだって結局はお金なわけです。

 評価ってのはお金のように流通しません。使えるのは評価されてる人と評価している人のあいだだけの一方通行。それがお金になるということは、評価している人、つまり金づるからお金をどれだけ引っ張れるかということになります。

 まあこの評価ってのは使いすぎるとあっという間にどん底まで落ちてしまうので、これから評価経済を目指す若者は容量・用法を守って正しくお使いくださいね。

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