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2011年11月10日 18:06

「起業は若いうちにやればやるほど得」『Zynga Japan』山田進太郎×『gumi』国光宏尚対談レポート

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 11月5日に福岡市中央区大名にあるカフェ『GuildCafe Costa(ギルドカフェ コスタ)』で開かれた、『Zynga Japan』の山田進太郎さんと『gumi』の国光宏尚さんの対談に行ってきました。

 おふたりともソーシャルゲーム業界の先頭を走っている方で、イベントでは“起業した理由”と“その後のスタートアップでの苦労”について2時間ミッチリと語ってくれました。経歴は以下に掲載します。

 山田さん(右)はジンガジャパン株式会社のジェネラル・マネージャー。2001年にウノウ株式会社を設立。その後は映画情報サイト『映画生活』、写真共有サービス『フォト蔵』、ソーシャルゲーム『まちつく!』などのサービスをリリースし、2010年8月3日にウノウの株式をZyngaに譲渡。現在はジンガジャパンで働かれています。

 国光さん(左)は株式会社gumiの代表取締役社長。1995年から中国やアメリカなどに留学し、帰国してからは映像制作会社に勤務。その後2007年に独立し、現在はソーシャルゲームの提供をメイン事業として展開しており、『GREE』に提供しているゲーム『任侠道』は、GREE Platform 2011年上半期優秀アプリ表彰にてRPG最優秀賞を受賞する成績を残しています。

 以下対談形式にてレポートを掲載(敬称略)。

山田進太郎「シリコンバレーで戦う意味はない」

山田 ずっとフリーランスでやってました。「こんなシステムできませんか」という要望に応えていて、一千万円以上儲かってました。

 学生時代の友達は逆にほとんど大企業に行ってて、フリーでやる人なんてまったくいませんでした。時代が良かったですね。楽天、ライブドア、オンザエッジ。2000年のころはウェブサービスを作れる人がぜんぜんいなかったから、資金的にも順調でした。

 ただ、「これでいいのかな?」っていう思いがあって、それで「アメリカに行ってみよう」と思って行ったのが2004年の1月。いわばシリコンバレーの走りです。

 アメリカに対して漠然とした憧れはありましたが、行ってみたらけっこういい加減。仕組みは日本の方がしっかりしてます。たとえば医療、日本は保険があって誰でも治療を受けられるけれど、アメリカだと民間だから受けられない。

 トータルで見ても、そんなに変わりません。ただ、アメリカに行って言葉が不自由だとそれはめちゃめちゃハンディキャップです。今は外資系に勤めてるので普通に話せますが、それでも限界があります。新聞とか、いちいち読まないと把握できません。そこに日本語と英語の根本的な差があります。

 日本人であるということを意識しました。そして日本人的な良さをすごく感じました。「これを世界に見せたい、日本でネットサービスやって輸出しよう」と思って、結果的には日本に帰ってきました。

国光 シリコンバレーに知り合いは?

山田 知り合いはほとんどいませんでした。

 シリコンバレーで成功したかったら、アメリカ人にならないとダメです。それは日本人であることを捨てるということ。

 たとえば主食は僕ら米だけど、アメリカ人はピザ、ハンバーガー、タコスを食べてます。それをやらないと、本質的なアメリカの考え方は身につかない。

 そうすると5年はかかります。日本人であることを捨てて5年かけてベンチャーに潜り込むよりも、日本でやった方がいい。僕はいろんなベンチャーで仕事をやってたから人脈がありました。でもアメリカにいったらただの言葉の不自由な人。ハンディキャップが大きいんです。

 ただでさえシリコンバレーで競争するのは大変なのに、あえてそこで戦う意味はあるのか?

山田進太郎「何千万人に使って貰えるサービスを作りたい」

山田 もちろんほかのビジネスもやりました。日本食のレストランやってたおばさんを見つけてきて、シリコンバレーでレストランをやろうと思いました。ただ、始めるにあたっての規制は日本より多かったです。

 あるときそのおばさんと「アルバイトを雇おうと思っているけれど、最初はお店に立ちますよね」という話をしていました。

 そこで気づいたんです。ネットサービスは何千万人と(お客さんが)来るけれど、お店だとせいぜい月間で千人くらい。それよりも、何千万人に使って欲しい。だからやめました。

 僕にとってネットビジネスは天職でした。ネットビジネスは誰にでも成功の可能性はあるけれど、集中して絞り込んでいかないと、本当にそれが好きじゃないと勝てない。本当に自分が夢中になれるものを見つけることが重要です。

 解決方法はとにかくすべてやる。漫画家になりたいと思ったら漫画を書いて懸賞に応募する。僕はネットビジネスでした。だから起業しました。

国光 山田さんは伝説のインターンと呼ばれてて……。

山田 楽天のときの話ですね。僕は99年に楽天に内定しました。まだ無名で20人ぐらいの会社です。新卒で内定して、半年くらい楽天オークションの立ち上げを3人ぐらいでやってました。パワーポイントの使い方も知らなかった。

 でもそこで「ビジネスってこういうふうにやっていくんだな」ってのを学んだし、「のってる会社ってのはこういう雰囲気なんだな」と体験できました。楽天に入ったときは20人ぐらい、出るときは70人でした。1週間に1人、新しい人が入ってた。そのときの経験ってすごい役にたってます。

 そのときのインターンや新卒のメンバーが、GREEの田中さんやフォートラベル津田さんとか、トレンダーズの経沢さんとかもいた。はじめのメンバーはGREEに行くか、起業しました。はじめのころのベンチャーにくるのは特殊な人が多いですね。

国光 友達が大金持ちの山田さんです。

国光宏尚「阪神淡路大震災で人生かわった」

国光 僕はアラフォー世代。不遇の世代です。団塊ジュニア(世代)の子どもだからものすごく人が多い。正月も塾に行く。関西の浜学園って塾だった。ハチマキ巻いて塾やってた。

山田 どこまでさかのぼってるんですか。

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