デジタルマガジン

2011年03月23日 1:30

双葉病院は患者を置き去りにしていなかった。勤務医「警察に強制退避させられた」 #jishin

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 東北地方大洋沖地震関連の報道として、福島県双葉病院の医師らが患者を置き去りにして逃げたというニュースが各メディアにて流されましたが、彼らは患者を見捨てて逃げてはいませんでした。

 この事件はセンセーショナルな内容だったため(実際に21名もの患者が搬送途中に亡くなられています)、メディアもこぞって報道しましたが、後に福島県側の誤報であることが分かっています。

 福島県側もこれを誤報だったと認めて訂正していますが、果たして双葉病院の院長、そして医師らの名誉がどれほど回復されたかは不明です。

 一体当時、現場では何が起こっていたのでしょうか?

 双葉病院に勤める医師を名乗る方が、当時の経緯をm3.comという日本最大級の医療従事者専用の医師専門サイト内の掲示板に書き込まれているため、その内容を転載させて頂きます(転載可とのことです)。

 私は今話題になっている双葉病院の医師です。

 私自身避難先の病院にいますが、やっとこの掲示板を読み書きする余裕ができました。とりあえず私が経験したり院長から直接聞いた情報を書きます。賛成も反対も要りません。皆様に事実を知っていただきたいと思います。

 双葉病院は350床の精神科病院ですが、地域の認知症の患者さんを多数受け入れており、約半数が老人で寝たきりも多く、TPNの患者さん(※デジマガ補足。栄養を経口摂取できず、中心静脈路からの点滴に頼っている患者)が20数名、経管栄養が30名以上いました。

 3月11日の地震直後に電気・ガス・水道は止まったものの、病院の建物は無事で、職員・患者さんに全く怪我はありませんでした。海岸から離れているため、津波の被害も全くありませんでした。

 地震当日は帰宅困難な職員が泊り込み、救援物資が届くまで食事や経管栄養の回数を減らす、点滴速度を下げるなどの対応で凌ぐことにしました。

 しかし翌日、原発事故のため第1原発から2キロだった避難指示が10キロになり、病院が避難エリアに入ってしまいました。このまま病院に留まっていても避難エリア内のライフラインの復活や救援物資は全く期待できないため、大熊町に避難のバスを依頼しました(大熊町はバスを依頼するまで病院の職員と患者さんが残っていることを知りませんでした)。

 町から大型バス5台が来たため、自力で歩ける患者さんを中心に209名の患者さんと私を含め数十名の職員が5台のバスと数台の病院の車に乗って、数日分の薬と非常食を積んで大急ぎで避難しました(避難したのは最初の爆発の2時間前でした)。この時は一時的な避難で、病院に数日以内に帰ると思っていました。私たちの出発時に院長は病院に間違いなく残っていました。

 最初に避難した209名の患者さんと職員は三春町の避難所(学校の体育館)で一泊し、翌13日にいわき市にある関連病院にバスで避難しました(2名の患者さんは避難所で家族に引き渡しました)。いわき市に避難した患者さんは、多くの病院の先生方のご協力を得て、殆どの患者さんが1人も亡くなることも病気が悪化することもなく茨城、埼玉、東京、山梨、神奈川の病院に無事入院させていただくことができました(茨城と山梨の先生方はバスをチャーターして迎えに来ていただきました)。

 また、患者さんを連れて各病院をバスで回ると、「空のバスで帰るのはもったいない」といってたくさんの支援物資を乗せて頂きました。ダンボールに書かれた「ガンバレ!」というメッセージを見て涙が出るほど嬉しかったです。

 さて、病院に残った院長と数名のスタッフは、1回目の水素爆発の後も電気も水道も通信手段もない(携帯も公衆電話も不通)病院で点滴やオムツの交換をしつつ次の救援を待っていたそうです。

 自衛隊の救援が来たのは、丸2日後の3月14日の午前で、近くの老健の入所者98名と双葉病院の寝たきりの患者さん30名をバス8台で連れて行きました。その後院長を含む4名が警察官と共に次の救援を待っている間に3回目の水素爆発があり、3月15日午前1時に警察の車で強制的に川内村まで避難させられたそうです。

 院長一行は川内村から再び病院に戻ろうとしましたが、避難指示のエリアということで戻ることは許可されず、1回目とは別の自衛隊員だけで最後まで残された90数名の患者さんを避難させたそうです。自衛隊によって避難させられた患者さんは、名前も病名もわからない状態で医療機関や施設に収容され、中には亡くなった患者さんもおり、各病院の先生方にはご迷惑をおかけし、大変申し訳なく残念に思っております。

 以上の経過の通り、患者さんが全員避難するまで院長は病院に留まろうとしていたのにもかかわらず、強制的に警察に退避させられたのです。間違っても患者さんを置いて「逃げた」わけではないのです。

 おそらく最後に患者さんを避難させた自衛隊員の報告を聞いた県の担当者が、何の裏づけも取らず「なぜ入院患者だけがいたか、現段階では分からない。避難する中で混乱が起きることはあるが、もし高齢者だけを置いて避難したとしたら許せない」と発言し、新聞が横並びに報道したものと思われます。後になって県は訂正しましたが、果たしてどれほどの人がこの訂正を知っているでしょうか?

 今回の地震では、殆どの病院スタッフが被災しています。家を流されたり家族の安否がわからない状態で患者さんたちと共に避難しサポートをしている中で、病院と院長の名誉を傷つけ、私たちの心を踏みにじるようなコメントを軽々に発した福島県を絶対に許すことができません。

 以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。

 <日本最大級>医師向け最新医学・医療情報サイト|m3.com

 ※読みやすいよう改行、誤字の訂正、略語の補足、日付表記の変更を行っています。

 m3.comへの登録は医師専用のためこの文章の原文は確認できていませんが、離島の精神科医の方が書かれているブログ『とりあえず俺と踊ろう』に全文転載されていたため、その内容を転載しています。後日の訂正報道と内容が整合しているため、事実だと判断します。

できごとの時系列まとめ

  • 双葉病院は350床の精神科病院
  • 3月11日。地震直後に電気・ガス・水道は止まったものの、建物、職員、患者は無事
  • 3月12日。地震翌日に原発事故の避難エリアに指定される
  • そのため、自力で歩ける患者を中心に209名の患者を大型バスで避難させる
  • その際も院長と病院のスタッフ数名は病院に残っていた
  • 3月13日。209名の患者は関連病院へ無事に避難。死亡者なし
  • 院長らは電気も水道も通信手段もない中、次の救援を待つ
  • 3月14日。午前中に自衛隊の救援が病院に来る
  • 寝たきり患者30名を自衛隊が救出
  • 院長らは警察官と次の救援を待っている際に原発が3回目の水素爆発を起こす
  • 3月15日。午前1時に警察の車で強制的に川内村まで避難させられる
  • 院長らは病院に戻ろうとするも、避難指示エリアを理由に警察から許可せず
  • 3月16日。1回目とは別の自衛隊が最後まで残された90数名の患者さんを救出
  • 患者は名前も病名もわからない状態で各医療機関や施設に収容されたため、亡くなる方も出た

 院長らは患者が全員避難するまでは病院に留まろうとしたそうですが、警察により強制的に避難させられたそうです。

 そしてその後、患者を救出した自衛隊から報告を受けた福島県の担当者が何の裏付けも取らず批難するコメントを発表し、今度はそれをメディアが横並びで一斉に報道、バッシングを始めたというのが事実のようです。

 双葉病院の院長、そしてスタッフらは決して患者を見捨てようとはしなかった、最後まで救おうとしていたのです。

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